しもまちスタンプラリー2022 御米道(ごまいどう)と勝山地区の5ポイントの紹介
江戸時代に入って経済活動が活発になり、街道の整備が急速に行われた。長府藩では、山陽道、赤間関街道などとともに御米道が整備された。御米道は、俵山から杢路子-貴飯-小野-秋根を通り、長府又は赤間関に至る街道であり、年貢米等諸物資が運搬された。一里(約4㎞)ごとに石積みの一里塚を建てて旅程の目安になっていた。道幅は馬車が通れるほどの1.5~2mである。
スタンプラリーでは、勝山地域の御米道【国土地理院旧版地図(明治31年製版)をもとに作成】に沿って5か所のポイントを設けた。
各ポイントについては、次のとおり概略を示す。
1 山ノ谷の道祖神
道祖神は、厄災防止、子孫繁栄、交通安全の神として村の境界や交差点などに祀られている。山ノ谷の道祖神は、村の境界となる秋根一里塚から椋野一里塚へ向かう途中の椋野峠を越える手前の山ノ谷三叉路にある。元文4年(1739)の上申書にも記載があり、県内でも古いものの一つと言われる。今では、道祖神と刻まれた花崗岩の石碑(高さ60m)がブロック造りの石室(高さ110m)に納められ、石室の傍らには、椎の巨木が森のように聳えている。
2 住吉神社御神霊樹大楠
住吉神社前を通る街道は、伊倉、秋根から逢坂を越えて長府(府中)へ通ずる人や物の主要道であった。
住吉神社の大楠は、国宝住吉神社本殿の東神門を出て七社、蛭子社、田尻社、若宮社などが連なる神殿横を抜け上ると頭上に枝葉が覆いかぶさるような大樹である。根元のみに赤土があり、根幹に小石を抱えた大きな空洞をなす神木は、パワースポットとして人気がある。赤土は約9万年前に阿蘇山大爆発で生じた熱雲が飛来して火山灰(現在執筆中)を堆積したものである。
境内の社叢は、大楠を代表とし、コジイ、イヌガシなど暖帯照葉樹林の群落を形成する原生林である。ヤマモガシの樹木には、日本で一番美しい南方系の蛾と言われるサツマニシキが飛び交い、6月、10月に観察される。
3 曹洞宗普賢寺
秋根市には御米道の駅馬があり、大変賑わっていた。普賢寺は秋根市にあり、この地で毛利元就公の継室乃美大方が晩年に過ごされた。乃美大方の遺言により菩提寺として臨済宗普済寺が創建された。慶安年間(1650年頃)に功山寺6世星巌伝寿和尚が入寺し、曹洞宗普済寺として開山した。その後、功山寺7世寒江伝和尚が後を継ぎ、寺名を曹洞宗普賢寺と改名した。現在、東側境内に乃美大方の灰塚があり、墓所は功山寺にある。
御米道は、秋根市から若宮神社のあった秋根上を通り、権現社や勝谷神社の下を経由し逢坂を越えて長府に向かう支道も整備されていた。
秋根本町の市営アパート前に建つ秋根市一里塚の碑は、新幹線建設に伴う土地整備によって元の位置を少し移している。
4 小野一里塚
明治の初めに新しい道路が多く整備されたため、御米道に設置された多くの一里塚は廃止された。ここ小野一里塚は、唯一その原型をとどめ残っている。土手の斜面に偏円錐形(角を丸めた四角錐)に石積みが築かれ、その高さは道から2.5mほどである。頂面は平らで幅約3mあり、建設当時は起点から何里と記した木柱が建てられたと言われる。石積みは、付近の関門層群に属する礫岩や凝灰岩が使われている。塚の横には、アラカシの巨木が茂っており、昔は旅人を休めたことであろう。塚の前の御米道は、今は竹藪になって人も通れない。また、説明看板横の屋敷塀に沿った小道は、私有地であり、進入しないで欲しい。
小野一里塚から内日亀ヶ原一里塚までの御米道は、今では一部が内日ダムに埋没している。
5 老僧岩
御米道を拡幅した県道沿いに老僧岩のお堂がある。標高差50mの参道を登ると奥の院に大きな岩窟がある。昔は中に延命地蔵菩薩や五百羅漢の石仏が祀られていた。岩窟は、関門層群に属する礫岩層が板状節理によってやや傾いた板状岩となって天井岩をつくり、その下が浸食されて空洞となり、さらにくり抜かれたものである。後世の人たちは大岩の下で修業した僧たちを敬虔の念をもって岩にたとえ老僧岩と呼ぶようになった。
今では、ご本尊の延命地蔵菩薩や五百羅漢は、道路横のお堂や礼拝所に移されている。大岩のある奥の院への登山は、悪路で危険なため控えて欲しい。
御米道ルートとポイント位置図
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